アストラッド・ジルベルトのデビュー逸話

アストラッドが歌うことになったいきさつについてはいろいろな逸話があっておもしろいなと思っていましたが、調べてみると、宣伝のために捏造されたものが多いらしいと分かってきました。

キッチンで鼻歌を歌っていたら夫ジョアンのところに来たスタン・ゲッツが偶然聞いて気に入って採用したという説や、
夫ジョアンの付添いでスタジオに来てたまたま歌ったら、結構いいねぇと採用されたという説(友達のオーディションの付き添いで行った人がスカウトされてアイドルになるというたぐいですね。)
おもしろくて信じたいところですが、実際は、元々歌手活動していたこともあるアストラッドが、大チャンス!と自らを売り込んだという説が有力です。

ジョアンはアストラッドが歌うことに元々反対だった(ボサはブラジルポルトガル語で歌うべきという信念をもっていたのに、彼女が英語で歌うというからなおさら)けど、せがまれて仕方なく歌わせた。その録音をアストラッドに売り込まれたプロデューサーのクリード・テイラーが「売れるぞ」とにらんでリリースした、という話です。
そうしてジョアンがポルトガル語で歌う部分をカットしてアストラッドの歌だけにした「イパネマの娘」のシングルが爆発的ヒットになったというんですから、皮肉です。
その後アストラッドはアメリカでどんどん成功していき、ジョアンは彼女と離婚して不遇期、ミウシャとの再婚、メキシコ移住などを経た後、ようやくブラジルに戻ったそうです。
なんかあれですね。現実はそんなものでしょうか。

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